2025年に英国のミステリー文学賞「ダガー賞」を日本人として初めて受賞し注目を集めている、王谷晶(おうたに あきら)さんです。
現代社会や女性、LGBTQ、孤独など多様なテーマをリアルかつユーモラスに描く王谷晶さんですが、大学はどこを卒業しているのか気になりますよね。
王谷晶さんの大学時代について詳しく調べてみましたので、早速見ていきましょう。
王谷晶の出身大学はどこ?

王谷晶さんは大学に進学しておらず、
東京のデザイン系の専門学校を卒業しています!
専門学校といことで、2年間通ったと予想できます。
ただし東京のデザイン系の専門学校と語っているだけで、学校名までは公表されていませんでした。
「名前を書けば入れるような学校でした。」と王谷晶さんはインタビュー内で語っていました。
王谷晶さんは1981年(月日は非公開)生まれと公表されており高校卒業した頃が、1999年もしくは2000年。
その頃の東京にはおよそ20校前後のデザイン専門学校が存在していたと推定されます。
- 東京デザイン専門学校
原宿にある老舗のデザイン専門学校で、グラフィック・イラスト・ファッション・Webなど幅広い分野を学べます。 - 創形美術学校
池袋に位置し、デザイン科や造形科を設置。クリエイティブ業界に多くの卒業生を輩出しています。 - 専門学校桑沢デザイン研究所
渋谷にある日本初のデザイン専門学校で、グラフィック・プロダクト・ファッション・スペースデザインなど専門的に学べます。 - 日本デザイン専門学校(現:日本デザイン福祉専門学校)
渋谷区にあり、グラフィックデザインやインテリアデザインなど多様なコースを提供しています。 - 専門学校東京モード学園
新宿にあるファッション・デザイン・メイクなどの分野で有名な専門学校です。
王谷晶さんが、通っていた専門学校を特定するのは難しいと考えますが、上記の学校や他の専門学校に通っていたことは事実になります。
現在は、当時に比べると統廃合や新設もあるためもしかすると王谷晶さんが通っていたデザイン専門学校は閉校している可能性もありますね。
王谷晶の大学の進学理由は実家を出るため?

王谷晶さんは大学の進学理由について、
実家を出るために進学したとされています。
王谷晶さんの両親は、もともと東京都内で書店を経営していました。
しかし、王谷晶さんが生まる前に書店は閉め、田舎暮らしに憧れをもったご両親は国内を周り栃木県へ引っ越しています。
自宅を自分で作る父親やそれを手伝う母親、東京から来たという個性あふれる家庭環境から幼い頃、王谷晶さんは田舎の生活に馴染めずにいました。
小学校は不登校、中学生や高校生では通学歴でいうなら卒業できる程度しか学校には行っていないという学生時代。
そんな時、王谷晶さん支えとなっていたのは「本」であり本を読んで世界観を広げていました。
そのため、「自分の世界を広げたい」「新しい環境で自立したい」という思いが、進学と上京の大きな原動力になったのかもしれません。
王谷晶の専門学校時代はアルバイト三昧!

王谷晶さんの専門学校時代は、
アルバイト三昧だったと語っています。
ビデオ屋・寿司屋・スナックなどさまざまなことをアルバイトで経験していました。
そのため、専門学校で授業したというよりも、バイトの日々を過ごしていたとされます。
自分時間を大切にし、古本屋さんや映画館に行くなど王谷晶さんが「したいこと」を謳歌していたことが伝わる物でもありました。
卒業後実家に帰ることに!?

そんな王谷晶さんですが専門学校卒業後には、体調を崩し一度実家に戻り療養していたことも分かりました。
不規則な生活などが要因から鬱となり、実家で21歳~28歳まで過ごしています。
ただし本心としては、
と戻りたくなかったという心境もあったとされ、日常生活を改善させ、闘病から脱却して28歳で再び上京しています。
「自分はいずれ作家になるんだから」と夢を持ち続け、アルバイトや人との縁を大切にしながら、出版やゲーム業界での仕事を増やし、作家デビューの道のりを掴みました。
まとめ
今回は、「王谷晶の出身大学はどこ?進学理由は実家を出るためでアルバイト三昧!」についてご紹介しました。
王谷晶さんは大学ではなく、デザイン専門学校を卒業していました。
東京のデザイン専門学校と公表していますが、学校名までは分かりませんでした。
また、専門学校の進学理由には、「実家を出るため」です。
栃木県での田舎暮らしに馴染めず、王谷晶さんは都会での暮らしに夢を持って上京したと考えますね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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